最愛の父が亡くなりました。享年88歳でした。

 7月10日(日)の朝5時過ぎに、妹からの電話で起こされました。入院している病院から、父の容態が急変したという。早速飛び起きて、浦安から埼玉県川口市にある病院へタクシーで駆けつけました。病院の玄関前で偶然に弟に会い、父が亡くなったことをそこで知らされました。
 病室に入ると、母と妹が父に寄り添っていました。時間が止まったような静けさがそこにありました。弟の子供達も駆けつけ、筆者の息子も駆けつけてくれました。「万が一の場合、こちらで灰にして四倉に持っていくように」と、父は妹に伝えていたとのことですが。病院と懇意の葬儀屋に連絡をとって、父を帰りたがっていた故郷である四倉へ運ぶことにしました。
 何度も通った常磐高速道路でしたが、妹と既に呼吸を止めていた父と3人で四倉へ向かいました。今まで見慣れた景色の流れが、別世界へ繋がっているようでした。

 頼んだ親類の方々が、3.11の大震災以来入ることのなかった実家を綺麗に手入れをしていて、その1階の和室に父を横たえることができました。大震災以来、闘病暮らしをしていた父を、やっと自宅の寝室に静かに横にすることができたのです。「元気な姿でこうしたかった」と、そこで初めて筆者の涙が溢れました。辛い、辛い涙でした。

 13日の通夜、14日の葬儀、16日の初七日を無事終えることができました。そして、泥にまみれたダンボールに入った(実家に預けていた)筆者の書籍を点検しました。五分の四は泥まみれで、泣く泣く捨てる破目となりました。「梶井基次郎全集」(全3巻)、「ヘルダーリン詩集」(全4巻)、ブランショの「文学空間」等は無事でした。そしてドプチェクの「希望は死なず」、クンデラの「存在の耐えられない軽さ」は何とか泥を拭って読めるかな、という所でした。