22年前の天安門事件の映像です。

 1956年ハンガリーの首都ブタベストにあるコルビン広場で、市民はソ連の支配に対し火炎瓶でソ連軍に抵抗しました。この激しい戦闘で、死者17,000人(うち1,200人処刑)、亡命者20万人以上が出たと報告されています。この事実に日本の左翼は「反革命を抑えた」と言って、ソ連軍の行動を支持したのでした。この日本の既存の左翼勢力に対し、公然とスターリニズム批判を行ったのが黒田寛一をはじめ新左翼の連中でした。

 1968年チェコドプチェク政権が誕生すると、ドプチェクは「人間の顔をした社会主義」を標榜し、ゆるやかな革命を目指しました。数度にわたるブレジネフとの会談は実らず、同年8月20日ソ連軍(ワルシャワ条約機構軍)の戦車は国境を突破し、プラハに侵攻しました。「プラハの春」は無残にも打ち砕かれてしまったのです。

 所変わって、1989年中国において天安門事件が発生しました。現在の中国では、あらゆる検索サイトで「天安門」の漢字を打ち込んでも、検索されないと言います。しかし、貴重な映像がありました。宮崎正弘氏のメルマガに載っていたものを下記に貼り付けます。
http://www.youtube.com/watch?v=UB2oX07FpnI&feature=related
 
 又、大紀元日本で見つけた文章も下記に貼り付けます。
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/09/html/d45067.html

 ハンガリーチェコも、他国であるソ連軍に対する抵抗でした。しかし天安門事件は、本来自国民を守るべき自国の軍が、市民に発砲をしたのです。それも、巧妙に仕掛けられた罠によって、軍人は発砲させられたのです。今後も、天安門事件に関する真実は出てくるでしょう。「中国共産党を守るだけの」解放軍に匹敵する年間予算を公安関係に準備するなど、もうこの国は壊れる寸前です。