熱燗が美味しい季節となりました。

 通勤時に利用する浦安駅近くの駐輪場の前に大きな金木犀の木があり、何時もの甘い香りを醸し出していました。と思ったら冷たい雨が続き、一気に冷気が列島を襲う季節となりました。こうなると、大きな提灯をかいくぐって入ったお店で、1本が2本、2本が3本とお銚子の中の温かいお酒が喉元を通り過ぎていきます。日本近海の魚にもあぶらがのり、懐具合とは反比例して、心がじわーっと豊かになっていく感じがします。ノミスケの心情とは何と単純なのでしょうか。こんなことを毎年繰り返しているのです。

 お酒に関する失敗談は山のようにあります。その最大の、今でも背筋が寒くなる思いをするのは新入社員時代のことです。大学を卒業して入った会社は、従業員200人程のソフトウエア会社でした。そこで、蓄積した技術情報を共有しようと、「技術報」を発行することになりました。当然巻頭言には、当時の社長の言葉が載るはずでした。所が締切日になっても社長の原稿が届かず、当時の編集長は新人の筆者に「原稿を書け」と厳命したのです。創刊号の巻頭言「社長の言葉」を新人が書いたことなど、その真実を知る関係者は今では編集長と筆者だけとなってしまいました。今の時代では想像もつかない出来事のひとつです。

 問題は、印刷会社に校正を終えた生原稿を渡す前日にありました。当時のコピーは青焼きが主流で、コピーなどせず、その原稿の最終チェックのために「生原稿」を持ったまま何時ものように夜の巷へ繰り出したのでした。気がついたのは、朝がボヤーっと明けた頃、何時の間にか背広姿のまま不覚にもビルの階段に寝てしまっていたのです。外に出ると、遠目に「渋谷駅」の文字が山手線の鉄橋に見えたのを今でも鮮明に覚えています。そして恐ろしいことに、原稿を入れた袋が手元に無いことに気付いたのです。当時は、幸い広尾に住んでいましたので、早速着替えて出勤したのでした。

 恐る恐る自分の席に着くと、庶務のベテランの女性に呼ばれました。「タクシー会社からお宅の会社の袋が忘れ物で届いていると連絡がありました。始末書を持っていらっしゃい。」とのことでした。その呼び出しにホッとするやら情けないやら、それでも原稿が戻ったことで力が抜けるのを感じました。
 
 その会社も、今では1部上場の立派な会社になりました。その後、偶然にその会社の「技術報」を見る機会がありました。今では専任の編集者もいて、随分洗練され市販されている雑誌のようでした。「あの時、コピーもしていない生原稿が戻らなかったら...」それこそぞっとする話です。そんなことがあったことなど今では知る人もなく、だからこそ「よく続いてくれているな」と眩しくて表紙をまともに見られなかったのでした。